フルコンタクト空手 新極真会長野支部

昇段レポート 穂高道場 常田 満

穂高道場
常田 満

藤原師範、この度は昇段審査の受審をお許しいただき誠にありがとうございます。また、穂高道場の皆様私の審査の為に二年間の長きにわたり稽古へのご協力心より感謝申し上げます。

今回の審査は、昨年九月に続き二度目の挑戦となりますが前回は型の審査で終了となり組手審査まで進むことは叶いませんでした。その際師範より「自分が本部で他の道場生の審査をしている以上自分の弟子にだけ甘い点数をつけるわけにいかない。今の実力では本部で受けたら確実に昇段できない。参段は高段者になるんだ。」とのお言葉をいただきました。

後で後輩が録画してくれた動画を見たところそこにはスピード、キレもなくチグハグな動きをした自分の姿がありました。次の稽古からは型に重きを置いた稽古にシフトし、自主トレでも型の回数をそれまでの倍に増やすことにしました。しかし、審査を控えた二週間前に師範より型に入る前の構えから注意を受ける有り様でした。

この一年間自分では型を見直し集中的に稽古したつもりでしたが、正しい型の動作を理解していない独りよがりの稽古のそれに過ぎませんでした。

それからの二週間は時間の許す限り指摘された箇所をガラス越しに映る自分の姿を見て矯正し、正しい動作ができるまで繰り返し稽古しました。

また、暇さえあれば型のビデオやユーチューブを見てイメージトレーニングを行い審査に備えました。

今回の審査における自分のテーマは常に平常心を保つことを意識することでしたが、組手の審査の途中から次第に冷静さを失い頭に描いていた脱力した動きからカウンターを取る組手や自分を限界まで追い込むこともできない悔いの残る結果に終わってしまいました。

振り返れば心身ともに強くなりたい一心で始めた極真空手ですが、正直30年以上も続けることができるとは思ってもみませんでした。

初めて極真の門をくぐったのは大学に入学するのと同時で、現、士道館の添野義二館長の埼玉県川越市にある新河岸道場でした。

当時はサポーターは無く道場での私語は厳禁。殺伐とした雰囲気の中で稽古を行っていました。また、ブルースリーや地上最強の空手映画の影響からか空前の空手ブームが巻き起こっていました。

道場生のほとんどは10代、20代の血気盛んな若者で稽古では常に50人以上が汗を流していました。稽古内容は延々と続く基本や移動稽古が中心で、締めくくりは道場生全員が正座して見守る中で勝負がつくまで行われる自由組手でした。

組手はケンカさながらの荒いもので何人もの道場生がのばされてはすぐに辞めていきました。それでも入門者は絶えることなくやってくるのでした。組手の時間になると道場の窓越しには人垣ができ街の不良たちも極真空手のすさまじい攻防に見入っていました。

当の私はというと入門して3ヶ月で組手で骨折してしまい逃げるように退会してしまうのでした。しかし、強さえの憧れを諦めきれず二年後に同じ道場へ足を運んだところ、そこは現、極真館の盧山館長が道場を引き継いでいました。

道場の雰囲気は厳しいながらも以前と比べて伸び伸びと稽古することができましたが、半年位で今度は肩を痛めてしまい、またしても退会してしまいました。さすがにその時は極真は一部の体の頑丈な人間しか続けられないのかとひどく落ち込みました。

月日が経ち何かの本で100キロの人間に力負けしなくなるには70キロの体重が必要だというような記事を目にし、早速ウエイトのジムに通いひたすら体重を増やすことに専念しました。

28歳の時にその頃住んでいた場所の近くにあった千葉南支部船橋分支部に入門しました。そこで初めてサポーターを目にし今では当たり前に行われているスパーリングの稽古を行い目からうろこでした。何より驚いたことは黒帯の先輩方から話しかけてくれたことでした。

とりわけ思い出深かったことは冬のひどく寒い日の夜、日本で唯一の落下傘部隊を有する習志野駐屯地内にある第一空挺師団の武道場で全日本ウエイト制で3位に入賞した国吉先輩と二人きりの稽古の後、先輩がポツリと一言「優勝できなかったから世界大会に出る夢が消えた。」と寂しそうに言われたことでした。

それを聞いて強くなる人は並の人間とは目標の設定値や意識の高さが格段に違うんだなと妙に納得しました。

その後32歳で転職し、故郷の松本に帰り長野支部の藤原師範の元でお世話になることに決めました。長野支部には更にフレンドリーな先輩が多く入門したその日から良くしていただきました。道場では空手のみならず春には花見や山菜取り、夏には川でバーベキュー等様々なイベントという名の飲み会を通じて親睦を深める機会を作っていただきました。

その中で周りの人への気遣いや後輩への接し方など、人として大切なことを醸成する気づきを先輩方から学ぶことができたことは財産となりました。私は弱い人間ですが、弱いままで良いと思ったことは一度たりともありません。

これからも質実剛健をもって自己の精神を涵養し、昨日の自分よりも少しでも強くなれるよう努力を重ねていく所存です。押忍。

2021年1月16日 8:25 カテゴリー:

昇段レポート 穂高道場 近藤功

昇段レポート
近藤 功

この度は昇段審査を受審する機会を与えて頂き、また参段の昇段認可を頂きありがとう御座いました。

私が、極真空手を始めたのが今から36年前、東京池袋にあった総本部道場でした、当時20代の私は、強くなりたい一心で、最強の空手である極真、それも、大山総裁がいらっしゃる総本部で修行したいと思い、門を叩きました。

それから、いろんな事を経験して、今から10年前に仕事の関係で長野に行く事となりました。

極真の気持ちが強かった私は、近くの道場を探しました、新極真会長野支部穂高道場、総本部の大先輩であった藤原師範の支部だったので迷わず入門いたしました。

穂高道場を含め、長野支部のみんなとは、すぐに仲良くなり、審査、長野県大会、合宿、合同稽古、黒帯会等楽しく稽古が出来て、良い思いでばかりです。

弐段を習得してからは、長野県大会シニアの部の常連で大会に出場してましたが、入賞こそするも、いつも3位どまりでした、一昨年の長野県大会のシニアの組手で優勝を機に次のステップとして参段への挑戦を試み、常田先輩、藤原先輩、私の三人で受審に向けて一年間一所懸命取り組みました、そして9月の審査に挑みましたが三人共型の審査の段階で終了してしまい、保留という無様な結果におわってしまいました。審査の厳しさをつくづく実感致しました。

 2019年いっぱいで地元愛媛に帰る予定だったので、もう無理かな?と思っていた所、藤原師範から12月にもう一度審査受けてみないかと言って戴けたので、3ヶ月間、型の稽古も含め稽古してきたので、今回の参段の認可を頂き本当にうれしいです。そして、もうひとつの目標でもある、愛媛県新居浜市に道場を開く夢に一歩先進したと思っております。

最後になりましたが、10年間お世話になりました、藤原師範、長野支部道場生の皆様、穂高道場の先輩、後輩、ありがとうございました。

私も前に進みます。

この場をお借りして、長野支部の発展と皆様のご健康を心よりお祈り申し上げます。

押忍

2020年1月21日 3:46 カテゴリー:

昇段レポート 上田道場 坂井正宏

この度は、弐段への昇段をお許し頂きありがとうございました。

私が空手を始めて15年が経ち、15年という節目を迎えて弐段への挑戦を決意致しました。審査の日が近づくにつれて、古傷の再発などで思うように稽古が出来ず焦るようになっていきました。10人組手の練習で骨にヒビが入り、気持ち的にも折れそうになっていたところ指導員の工藤先輩や道場仲間に励まされ今回の審査にむけて前向きになることが出来ました。

審査当日も不安があり、厳しい審査でしたが周りのみんなの応援もあり、無事に審査を終えることができました。今回の審査を通して苦しい事も沢山ありましたが感謝をとても強く感じる良い経験となりました。

最後になりましたが、藤原師範をはじめ諸先輩方、練習に付き合って頂いた工藤先輩、藤岡先輩、猛、遠くから練習相手として来てくださった田中さん、金原さん、審査当日、応援をしてくださった皆様、そして家族に感謝とお礼を申し上げます。

押忍 坂井正宏

2019年6月12日 11:50 カテゴリー:

昇段レポート 上田道場 浅川拓磨

この度は、昇段審査の機会を与えて頂き、また昇段をお許し頂き誠にありがとうございました。
藤原師範を始め多くの先輩方の皆様には心から深く感謝を申し上げます。
僕が新極真空手を入門したのは、年長の時でした。
当時は母に、稽古中、後ろから怒鳴られては泣いていました。「男なら泣くな」
「根性を鍛えろ」と口癖のように言われ続けました。
僕なりに辛かったです。
今まで多くの大会に出場して来ました。
先輩方の応援、アドバイスを頂いてきたのですが、自分なりの戦いが出来ず
良い結果にならず、その都度悔しくて泣いています。
母には「空手を辞めろ!!」と何度言われたことか分かりません。
僕は、身長も体重も同学年生と比べると小さく、不利だとは分かっています。
でも僕は、空手を辞める気はありません。
何年かかるかは分かりませんが、いつかは大きな大会で優勝し悔し涙ではなくうれし涙を流したいです。

昇段審査当日、今までの昇級審査とはまた違った緊張感がありました。
僕の中では自分を信じるしかなかったです。

工藤先輩から「黒帯からがスタートと言われ、まさにその通りだと僕は思いました。
多くの先輩方から指導をうけさせて頂き、アドバイスを頂き、本当に心から感謝しています。
僕の指導を年長から、教えていただいている坂井先輩、ありがとうございます。
坂井先輩と(二段昇段)一緒に昇段審査を受けさせていただいた事を心から嬉しく感謝しています。
平成最後の3月10日は、忘れはしません。
これからは、黒帯としてからのスタート、頑張っていきます。
最後となりましたが、藤原師範、多くの先輩方々、後輩の方々、本当にありがとうございました。
これからも宜しくお願いします。
押忍

平成31年3月 浅川 拓摩

2019年6月12日 11:48 カテゴリー:

昇段レポート 長野道場 佐當直紀

この度は、昇段審査を受けさせていただき、ありがとうございます。

僕が空手を始めたのは、幼稚園の年中の5歳の時です。
最初は祖父の進めで始めましたが、初回、2回目は不安で泣いて見学だけでした。
基本や移動稽古、型など最初はよく分からなくて、祖母が毎回撮ってくれたビデオを見て
家で練習をしました。いろいろな型を覚えていく事が楽しかったです。

泣き虫だった僕は、成田師範代の練習日は、怖くて、3階までの階段を上っていく時から
泣いていました。休む事なく通っているうちに、だんだん面白く楽しくなってきて、他の習い事の
ピアノやドラムなどに比べて一番好きになりました。

年長の時からドリームや他県の大会に出させてもらいました。
試合も不安と怖さから泣いてばかりでなかなか勝つ事は出来ませんでしたが、他の選手を見て
自分も頑張ろうという気持ちになりました。

習い始めてから5年がたち、師範の許しももらえて、審査を受けました。
審査当日は、補強の腹筋や腕立ては自宅で毎日やっていたので不安なく出来ましたが、
ジャンピングだけが心配でした。が、なんとか出来ました。
基本移動型10人組手などはリラックスして出来ました。

これからは、後輩のお手本となり、黒帯に恥じないよういろいろな大会で型も組手も勝てるよう
練習をしていきます。

最後に、泣き虫だった僕を温かくご指導して下さった藤原師範、成田師範代、山崎先輩、村田先輩、
工藤先輩、他沢山の先輩の皆さん、又、家族のみんなには感謝しています。
本当にありがとうございました。押忍。

佐當 直紀

2018年7月6日 12:58 カテゴリー:

昇段レポート 千曲道場 藤岡和貴

この度は、昇段審査の機会をいただきありがとうございました。晴れて昇段する事ができたのも藤原師範、村田先輩、工藤先輩など多くの諸先輩方や後輩の方々のおかげであります。

心より感謝いたします。

私が新極真空手に入門をしたのは約15年前になります。当時は中学生。高校進学で別の格闘技を部活動として行うために体力強化を兼ね知人の紹介を受けたのが新極真空手でありました。これが、私の空手人生のスタートであります。正直、当時を考えると大変失礼な考えからの入門ではございますが。さながら厳しい稽古。心技体を鍛えながらかつ礼儀を学ぶ日々は高校の部活動とは、また違った新鮮さをともない徐々に新極真空手に引き込まれていきました。

当時は空手道と部活動共に駆け抜けた充実した日々でした。しかしながら、大学進学・就職を経て空手道から離れもう再びこの場所に戻る事はないだろうと思い日々を過ごしていました。

ある時、工藤先輩より「長野県大会がある。良かったら大会のサポートとして来ないか」と声をかけていただき見るだけならと再び空手の世界に足を運びました。そこでは当時の後輩が指導者としてのたくましい姿や諸先輩方の激しい試合を目の当たりにして自分はこれで良いのか。格闘技は好きだから始めた事じゃないのか。と再び自分の力を試したいと思いがこみあげ復帰を決断しました。

復帰当初は、学生の頃のような感覚とは違い全く身体が動かない。こんなに辛いものかと感じる事が多く大会に参加すれど敗北の日々。後輩は着実に実績の積みあげるなかこんなものか苛む日々でした。しかしながら日々の稽古を積み重ねるなかで何か形あるものを得たいと今回の昇段審査に挑戦する事を決めました。しかしながら私は型の稽古が苦手で力んでしまう傾向にあります。審査までの日々は稽古後でお疲れにも関わらず遅くまで型の稽古に付き合っていただいた村田先輩。工藤先輩。ありがとうございました。藤原師範からも「お前はロボットか」となかなか身体が自分の言うこと聞かず苦労しました。今後は苦手分野こそ軸に稽古を重ね試合で活かしていきたいと思います。また10人組手では諸先輩方の熱い拳を肌で感じ初段になる厳しさを感じました。その名に恥じない空手人生をこれから一歩づつ歩んでいきたいと思います。

 

最後に

当日全力でサポートしてくれた坂井君・宮原君ありがとうございました。
追いつけ追い越せの意思を持ち日々の稽古に臨みます。これからもよろしくお願いします。

押忍。

長野支部  藤岡 和貴

2018年7月6日 12:54 カテゴリー:

昇段レポート 長野道場 宮尾悟士

この度、昇段審査の機会をいただき、苦節22年の歳月を経て、晴れて初段に昇段できたことを、藤原師範、成田師範代、諸先輩方に、心より深く感謝を申し上げます。

思い起こせば、大山倍達総裁の極真空手への憧れから、藤原師範の長野道場の門戸を叩き、そこで初めて見た師範の後ろ回し蹴りに、「こりゃ凄い。本物だ。」と驚きと感動は衝撃で、いつかは、自分も強くなりたいと道場へ通いました。道場の練習は厳しく、組手は怖かったですが、それ以上に、そこで出会った熱い情熱の同志の仲間達と汗を流す充実感は何者に代えがたかったです。

ところが、30代、転職、失業、病気、人生の悪い契機の転換点を経験し、道場を遠ざかる日々が長く続きました。ようやく仕事面で落ち着きをとりもどしたものの、その頃すでに40代、健康に自信がなく。やめるつもりで向かった道場には、藤原師範、成田師範代、諸先輩、の顔(かなしい顔、なつかしい顔、うれしい顔)10年の歳月の長さは複雑で、(生きてあえたうれしいやら、みんなに先を越された敗北感やら)を私自身感じました。「ミヤオ」みんな私のことを覚えていてくれてくれたことが、「今一度、どこまでできるかわからないけど、できることからやってみよう。」停滞していた空手の人生を一歩進ませるきっかけになりました。

年齢40代の空手、そこからの稽古は時間、健康との闘いでした。睡眠不足であったり、持病のバセドウ病、腰痛、若い時と違って半月板損傷など、体が稽古についていかれない事もたびたびありました。それでも、あの道場を遠ざかってる日々の苦しさ敗北感はもう2度とあじわいたくないと言う気持ちと、若い時に取り逃した黒帯初段をどうしてもほしい気持ちが、なんとかあきらめずに今回の昇段につながりました。

最後になりましたが藤原師範、成田師範代、相沢先輩、山崎先輩、村田先輩、工藤指導員、今回の昇段審査にあたり熱い情熱ある指導で懇切丁寧に教えていただき、誠にありがとうございました。空手にたいする思い、人との繋がりを感謝する姿は、私のこれからの目標です。昇段審査を無事終えて、昇段し初段なったら、緩やかな下り坂を楽しんでくだろうと期待したおりましたが、「初段は新たなはじまり」藤原師範にご鞭撻いただきまして、「そうか、ここからが俺のスタートラインで、これが黒帯なんだな。」と実感しました。

これからも精進し稽古し生涯の修行を空手の道に通じ、新極真の道をまっとうします。押忍!

長野支部 宮尾 悟士

2017年12月14日 1:04 カテゴリー: